(経営者列伝シリーズ〜野村徳七)データ投資と破綻リスクの許容。1900年代の株式市場における野村證券の構造転換 (CEOブログ)
1900年代初頭の日本の株式市場。当時の取引は、事実関係の確認がない噂や、投資家の直感のみで売買が決定される状態でした。 この環境下で、野村證券の創業者である二代目・野村徳七が実行した事業構築プロセスは、冷徹な計算と、破綻を恐れない過激なリスクテイクによって構成されています。

1. 事実の追求と、破産寸前のリスクテイク
彼は「勘」による取引を排除しました。事実の収集のみが利益を生むと計算し、社内に「調査部」を設立。海外の経済紙を即座に翻訳するためだけに、イギリス人ジャーナリストを自身の報酬よりも高い給与で雇用します。 彼の大物感を示すのは、日露戦争時の行動です。当時の市場は、戦況の悪化という噂によって株価が暴落していました。しかし彼は、調査部が収集した海外のデータから「日本の勝利と経済成長」を定量的に予測します。 ここで彼は、手持ちの資金だけでなく、借り入れられる限りの資金を投入して、下落した株式を買い占めました。予測が外れれば、即座に自己破産となる計算です。事実データに対する完全な信頼がなければ実行不可能な、極端な資本投下でした。まあでも、基本、根っからのギャンブラーだったんでしょうね(笑)
2. 同業者の論理的欠陥
当時の同業者は「直接利益を生まない調査部門や、全財産を賭けた取引は非合理なギャンブルだ」と評価しました。 しかし、この論理は致命的な欠陥を含んでいます。見落としていた変数は「情報の鮮度と正確性による利益の非対称性」です。他者が知らない事実を知っている場合、それはギャンブルではなく、単なる「回収作業」に変わります。正直なところ、感覚で取引をする同業者と、データで取引をする野村とでは、リスクの定義自体が異なっていたわけです。でもまあ、生粋のギャンブラーだったんでしょうけど(笑)
3. インフラの自作と身体性
東京と大阪の市場価格の差から利益を得るため、彼は自費で「専用直通電話線」を敷設しました。
- As-Is(当時の市場): 噂と直感に基づく意思決定。電報による遅い情報伝達。
- To-Be(野村の構造): 統計データに基づく意思決定。専用回線による情報伝達速度の独占。
さらに、大阪の事務所に電話で情報が届いた後、取引所までのわずかな距離で他社に出し抜かれないよう、野村本人が自転車に飛び乗り、全力でペダルを漕いで情報を伝達しました。巨額の資金を動かす経営者本人の、極めて泥臭い物理的な労働です。
4. 反脆弱性(Antifragility)の組み込み
市場全体が混乱する中、野村は手元にある事実データと専用回線による最新価格を照合し、損失を限定するとともに価格が下落した資産を買い集めました。マクロ環境の混乱を、収益機会に変換した事実です。 現在の事業において、私たちは野村徳七ほどの執着を持って「事実の取得速度」に投資し、リスクを取っているでしょうか。既存のシステムに依存せず、独自のインフラを構築する実行力が、利益率の差として現れます。
今日の大野村證券の実質創業者らしい、不世出で破天荒な知的ギャンブラーですね。


